おーるほわいと

普通の人の普通の日記

あの子とわたしのドラマ

 

ひとりひとりの人生にはドラマがあるって、幼いころに聞いた話を今までずっと信じてきたけれど、そのころはまだ、一つ一つのドラマの価値に格差があるなんて知らなかった。あの子のドラマとわたしの人生のドラマだったら、きっと誰もが彼女のドラマを選ぶのだから。つまらない、平坦で平凡なわたしの人生のドラマになんの価値もなければ、わたしには生きている価値がないということになってしまうのでしょうか。

 

彼女の悲しみは美しい。あの子が涙を流せばきっと、だれもが同情し、同じように涙を流す。涙が綺麗だ、なんて、不謹慎なことを言う。わたしが泣いたところで、そんな水滴はだれにも気付かれずに、わたしはわたしの悲しみをひとりで消化していくほかない。こうやって、他人と自分の価値を比べて、わたしの方が必要ないとか、わたしはこの人よりも必要だとか、自分の価値判断で他人と自分を比べてしまうから、いつまでたっても自分のことを愛せない。自分は自分だ、とかよく先生とか親に言われるけどさ、そんな強靭メンタルは持ち合わせていないので、なんだって他人と比べて死にたくなってしまうわけですよ。

 

インスタとかツイッターで、他人の生活をもっと簡単に身近に感じれるう世の中になってしまったから、わたしはもっともっと自分のことを嫌いになってしまうよ。他人の自慢にまんまと引っかかって、妬むことしかできない自分をまた嫌いになって惨めになって。慰めてくれる人がいるあの子のインスタのフィードは、いつだって首から下しか見えない男が向かい側に座っている写真だけ。

 

人気のドラマとそうではないドラマがあるのと同じように、人生のドラマにもそのふたつがちゃんとしっかり存在していて、わたしはちゃっかり後者の方です。死にたくなるけど、主人公がわたし自身である限り、自分の意思で変えていくしかないわけなのです。