おーるほわいと

普通の人の普通の日記

あの子とわたしのドラマ

 

ひとりひとりの人生にはドラマがあるって、幼いころに聞いた話を今までずっと信じてきたけれど、そのころはまだ、一つ一つのドラマの価値に格差があるなんて知らなかった。あの子のドラマとわたしの人生のドラマだったら、きっと誰もが彼女のドラマを選ぶのだから。つまらない、平坦で平凡なわたしの人生のドラマになんの価値もなければ、わたしには生きている価値がないということになってしまうのでしょうか。

 

彼女の悲しみは美しい。あの子が涙を流せばきっと、だれもが同情し、同じように涙を流す。涙が綺麗だ、なんて、不謹慎なことを言う。わたしが泣いたところで、そんな水滴はだれにも気付かれずに、わたしはわたしの悲しみをひとりで消化していくほかない。こうやって、他人と自分の価値を比べて、わたしの方が必要ないとか、わたしはこの人よりも必要だとか、自分の価値判断で他人と自分を比べてしまうから、いつまでたっても自分のことを愛せない。自分は自分だ、とかよく先生とか親に言われるけどさ、そんな強靭メンタルは持ち合わせていないので、なんだって他人と比べて死にたくなってしまうわけですよ。

 

インスタとかツイッターで、他人の生活をもっと簡単に身近に感じれるう世の中になってしまったから、わたしはもっともっと自分のことを嫌いになってしまうよ。他人の自慢にまんまと引っかかって、妬むことしかできない自分をまた嫌いになって惨めになって。慰めてくれる人がいるあの子のインスタのフィードは、いつだって首から下しか見えない男が向かい側に座っている写真だけ。

 

人気のドラマとそうではないドラマがあるのと同じように、人生のドラマにもそのふたつがちゃんとしっかり存在していて、わたしはちゃっかり後者の方です。死にたくなるけど、主人公がわたし自身である限り、自分の意思で変えていくしかないわけなのです。

 

 

たいせつ

 

受験が終わって、ずっと行きたかった第1志望校に合格できた。好きなアーティストのライブも、展示会も、観たい映画も、全部我慢してたくさんの時間を費やして、闇雲に進み歩いた結果だったから本当に嬉しかった。

 

それでも、担任の先生への結果の報告を1日遅れでしに行ったら、薄情なやつだと責められただけだった。母親には自分のことで喜びたいからそこまで嬉しくないと言われた。

 

私にとっては人生がかかっていて死ぬほどがんばって結果を出したけど、そんなこと周りの人には関係なくて、結局は他人なんだなと思い知らされました。自分のためにがんばることができるのは私だけなんだなあと。

 

どんなに自分のことが嫌いでも、自分を自分から引き剥がすことなんてできないし、これからも生きていく上でずっと共に過ごしていくから。そんなことを考えたらなんだか少し愛おしく思えた。

 

これからもがんばっていこうね、がんばれわたしがんばれ。

 

「ふつう」という名の呪い

 

親の金で生きているわたしに、社会のことなんてなにひとつ、これっぽちも分からない。

親の金でCDを買って、ライブに行って、洋服を買って、友達と外食をして、なんでもかんでも買ってもらう。

 

 

 

自慢ではなくて、わたしは多分まだほんとうの苦しみを知らないんだと思う。

いじめられたこともなければ、大好きな友達がたくさんいる。自分の趣味のせいで人に馬鹿にされたり、軽蔑された経験もない。

 

 

 

いたって普通で、とても幸せな生活を送ってきた。

 

 

でもだから、とても不謹慎なことだとは知ってるいるが、そういう苦しみの中を耐え抜いて、必死に自分という自我を保ち続けた人たちに心の底から憧れた。

 

 

その黒くて強い輝きに嫉妬した。

なにもない自分に絶望した。

 

 

ふつうになれないと言う人たちが、なにを言っているのか分からなかった。その人たちはその人たちのままで充分輝いていた。眩しいほどに。

 

わたしにはなんの特徴も、特技も、好きなこともなかった。自分から何かを生み出すような才能もなかった。なにもないんだ。ふつうすぎるんだ。つまらない。

 

 その人たちの黒い闇が、ひどく輝いているように見えた瞬間に、わたしは自分の平凡さを呪った。

 

ないものねだりなことも、不謹慎なことも、十分わかっているのだけれど、だれかの特別になるためにはそんな黒く輝く闇が必要なんじゃないかって思ってしまう。

 

 

 

ふつうのわたしを愛してくれる人はいますか。

何千人の中から、きみが特別だよって選んでくれる人なんているのですか。

 

 

 

 

わたしにとって、ふつうだねって言う言葉が1番の悪口だった。

 

 

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0.02mmの

 

 

たまに、というか常に、自分と世界の間に薄い膜がある感覚に陥る。現実から乖離した場所で1人で佇んでいる気持ちになる。日光を浴びても生きている心地がしない。

 

 

やらなくちゃいけないことだってたくさんあるのに、全部後回しにしてる。目の前のことしか考えられない、というよりも、なにも考えたくない。特に内容の無いツイッターのタイムラインを見て心を空っぽにする瞬間、心が安らかになる。

 

 

好きだった音楽を聴いても、心は揺るがない。ただ右から左に音が流れていくだけ。ほんとうに、生きている心地がしない。実感が湧かない。

 

受験なんて早く終わってしまえ。みんな合格をゴールとして精を出しているけど、大学なんてただの通過点じゃんばかみたい。そして、恋人と一緒に勉強してる奴ら、お前らより絶対にいい大学に行ってやる。

 

 

勉強して、ツイッター見て、食べて寝てを繰り返してるだけの日々だけど、どうにか生きていこうと思います。

 

生きる希望は好きな人の存在だけ。付き合ってるわけでもなんでもないから全然会えないけど、カメラロールに溜め込んだ写真を毎日のように眺めて必死に命を生き伸ばしてます。生きがいは好きな人。好きな人の笑顔こそが正義。

 

 

 

 

 

 

へたくそ

 

あなたの長所は?と聞かれて答えられないままヘラヘラ笑ってた自分が死ぬほど嫌い。でもどれだけ頭をひねっても、その答えは出てこなくて、食べる事と寝ることくらいしか思い浮かばなくて家に帰って1人で泣いた。

 

 

自分を好きになる方法がよく分からなくて、なんだかんだいつも人と壁を作ってしまう。1人の方が楽だし、みたいな中二病的なことをまだひきずってる自分の幼稚さに呆れても、なにも変えることができない。

 

言葉にしたらなんでも嘘っぽく聞こえて、人から信用されなくなった。ヘラヘラ笑ってる子というイメージが定着して、頬が動かなくなった。

 

人に好かれたいのに、好かれようとすると空回りして、どうにもこうにもうまくいかない。

こんなに難しいことを無意識でできてしまうような人とは、やっぱり生まれつき何かが違うんだ。

 

むずかしいよね、人付き合い。でもやらなくちゃだよね、人付き合い。

 

死にたい気持ち

 

 

 

必死に耐えて生き延びた人よりも、途中で全てを終わらせたいと死を選んだ人の方が同情を得るんだよね結局は。

 

死ぬことは逃げることだとかそんな強者の理論みたいなことをいいたいわけではないし、今我慢したらいつかいい事あるよとか無責任なことも言いたくないけどさ、大好きだよ。

いっそここで飛び込んだら楽になるんじゃないかって思って踏み出そうとした一歩だって、怖くて踏み出せなかった私にはなにも言う権利ないけどね。

 

あの子はもっとがんばってるよ、とかさ、みんなも同じように苦しんでるよ、とかさもう聞き飽きたしいらない言葉。

 

 

一緒に苦しもうよ、一緒に死にたい気持ちを共有しようよ、一緒に生きようよ。

 

正論で固められた答えなんていらないし、一緒に生きていてほしいだけだよ。矛盾ばっかりな私のことを愛してほしいよ認めてほしい。

 

 

 

スマホの画面だけを見つめて、空っぽのタイムラインを眺めて、心を真っ白にしたら明日もがんばってリセットしよ。現実逃避上等だよどうとこい。

寝て起きたらまた明日は来ちゃうけど、小さな幸せを見つけて一緒に生きていこうね。

 

 

 

 

 

負けないように

おーるほわいと

 

 

 

なんだかよく分からないけど死ぬほど死にたくなる時ってだれにもあるよね。電車の中にいても誰かの笑い声だけでその人を睨みつけたくなるほどイライラしたり、家までの帰り道を歩く時に脚がよたよたしちゃったりしちゃうよね。

 

もしかして自分が今この世で1番かわいそうな人間なんじゃないかってセンチメンタルになってただただ人を押しのけてホームに飛び降りたくなる衝動。死ぬ勇気なんてないくせにね。

 

 

 

そんなときはとりあえずサイダーを買って家に帰って、一気飲みする。喉への強い刺激で涙を流して泣き叫ぶ。それだけですこし救われる。

 

その次に大森靖子さんの音楽を聴く。一緒に幸せでいようね、って言ってくれる靖子ちゃんを心の中に宿して辛いことも乗り越えていこうね。みんなの悲しいことを音楽に落とし込んでくれる靖子ちゃんは誰よりも強いしみんなの人生を肯定してくれているみたい。

 

 

 

みんな同じくらい辛い思いをしてるんだよね。現実に負けないで生きていこうね。誰かがきっと見てくれてるってことを信じて生きていける間はまだまだ人生捨てたもんじゃねえ。前なんて向いてなくたって毎日は進んでいってくれるから、斜めを向いていても、泣きながらでも、苦しみながらこれからも一緒に生きていこうね。